トラベルリポート イタリア ローマ編①
こんにちは。 九州工業大学の学部三年、トニカメンバーの篠川です。
今年の夏、僕は8月15日~9月26日までの間,イタリアに滞在し、
イタリアの建築設計事務所interstudioのインターンシップに参加してまいりました。
今回は、今回の滞在中に訪れたイタリアの都市や建築、人々の暮らしを紹介したいと思います。
まず、日本を出発し、仁川(韓国)→プラハ→フランクフルト→ローマ と乗り継ぎ、15時間かけてようやく到着。
プラハで乗る予定だった飛行機に乗れず、途中フランクフルトまで、飛ばされ、 5時間遅れでの到着でした。
インターンシップは事務所のバカンスが8月の下旬まであるということだったので、 8月下旬まではローマをたっぷり観光しました。
まず、ローマの中心にあるテルミニ駅に行くと・・・
!!!
ローマの地下鉄では、こんな感じの大胆に落書きされた車両をよく見かけます。
続いて向かった先は、サンタマリア・マッジョーレ教会。
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サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は古代キュベレ神の神殿があった場所に築かれた。
数回にわたる改修と1348年の地震に伴う崩壊の危機を乗り越え、ローマのバシリカ様式の聖堂では唯一原構造を残している貴重な建築物である。
「サンタ・マリア・マッジョーレ」(聖母マリアの聖堂)という名称には二つの意味がある。
一つは世界の聖堂の中でも特に重要な教会、まさに母なる教会であるということ。
第二にカトリック信仰において古代より尊重されてきた聖母マリアへの崇敬を表す聖堂であるということである。世界中に聖母マリアにささげられた聖堂があるが、
その中で最大のものがサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂である。
アヴィニョン捕囚からローマ教皇がローマに戻ったあと、ラテラノ大聖堂が荒れ果てていたため、一時的にサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂が教皇宮殿として用いられていた。
後にバチカンに教皇宮殿がつくられ、教皇はそこに移って現代に至っている。
1929年に結ばれたラテラノ条約のとりきめによって、イタリア政府は、バチカン市国外であってもサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂におけるバチカンの特別な権利を認めている。
*Wikipediaより
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学校の授業で出てきた教会で、是非足を運びたいと思っていた教会でした。
とこんな感じで、これから主に写真を使って、イタリアの旅について紹介していこうと思います。
次回はローマ編②です。