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津屋崎まちめぐり


更新が遅れてしまい申し訳ありません。 2015年10月10日、今年度tonicaの最初の企画として福津市の津屋崎を散策しました。現在、津屋崎は古民家再生などの地域おこしプロジェクトが行われ、全国から注目を集めています。今回は、その伝統的な歴史との向き合い方を学ぼうと思い、私たちは津屋崎を訪れました。

津屋崎のある福津市は、2005年に福間町と津屋崎町が合併してできた市です。

まず、津屋崎を語るうえで欠かせないのは、「塩田の歴史」です。その起源は寛保元年に現在の香川県から来た大社元七は津屋崎の地形から塩田開発を考え、福岡藩の援助により塩田を開いたのが始まりと言われています。

この歴史ある土地では伝統的な古民家が毎年、5、6軒姿を消していたそうです。

そんな空き家の増えていく現状を「津屋崎ブランチ」による地域おこしプロジェクトによってまちづくりが行われています。

まず、空き家になっていく古民家をカフェや納豆ご飯屋、市の建物へコンバージョンすることで、新たな価値を創り出しています。まちに新たな価値が加わることで、関東をはじめとした県外の移住者も増えています。

当日私たちには、現地のことをよく知るボランティアガイドさんに同行して頂きました。まず、「藍の家」を見学しました。「藍の家」はNHK福岡放送局福岡発ドラマ「ここにある幸せ」の舞台になった古民家です。その伝統文化、揚げ戸になっている雨戸や「塩木」と呼ばれる木材を梁に使用していることなどに驚かされました。藍染めや民芸品の展示販売、時期によってはミニコンサートなども行われているそうで、受け継ぐべき伝統とその継承方法を学ぶことができました。

豊村酒造では、140年の歴史を持つこの建物にも塩木の大きな松の木の梁が使われていました。豊村酒造有限会社では「豊盛 原酒」を始めとする日本酒の製造だけでなく、広い蔵内でコンサートを開催したり、地域のイベントにも積極的に関わられているそうです。

次に旧玉乃井旅館を訪れました。築100年以上の旅館はその役目を終え、一般開放しイベントなどを行うことで、今もその歴史を伝え続けていました。 津屋崎千軒なごみでは、津屋崎塩田や歴史的人物との関わりをたくさんの資料もご用意して頂き、教えていただきました。

筑前津屋崎人形工房では、工房の様子も見せて頂きました。博多人形の流れを汲む土人形で半永久的に使うことの出来る人形型は、江戸時代のものも代々受け継がれ、その歴史は200年以上にもなるそうです。

江戸時代に津屋崎の漁場拡張を黒田藩に直訴した庄屋佐兵衛と組頭ら「義民六人士」も祀られています。津屋崎の街をあげてのイベント時にはコンサート会場としても利用されているそうです。

津屋崎を訪れ私は温かさを感じました。そこには親切にまちの事を話してくれる人が多くいて今回だけでも多くの事を学ぶことができました。特に古民家の維持や新しい利用がいたるところで、またそれらが独立せずに関わりあっていることが印象的でした。

文面:徳永 編集:河原

文章:河原


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