人生×田村晟一朗氏
北九州で活躍中の建築家田村晟一朗氏。今回の対談では田村氏の職業観に迫った。田村氏は何を想い行動しているのか。そして、何を成そうとしているのか。田村氏の姿から学ぶべきことは多かった。
木村:今日は宜しくお願いします。
田村:お願いします。
木村:建築家を志した理由を教えて下さい。
田村: デザイニング展がきっかけでした。以前インテリアデザイン事務所に勤めていたのですが 、 その時の先輩が自らデザインした家具を出展したんですね。当時のインテリアデザイン事務所の仕事は結構ハードな内容でしたが、その仕事の傍ら自分の好きなことに打ち込んでしかも発表をしている姿に衝撃を受けました。キッカケとしてはその先輩とデザイニング展ですね。
木村:何回目のデザイニング展のことですか?
田村:あれは、確か僕が25歳の時だったので、2回目のデザイニング展ですね。それで、僕の場合は建築家という具体像ではなく、建築家というのは1つのカテゴリーの中であってはいたのですけど、そこを目指すのではなく、まずは自分のやりたい事、思っている事を行動に移そうと思いました。
木村:その時にやりたいと思ったのが建築だったのですね。
田村:はい、建築です。結局、インテリアデザイン事務所と建築設計事務所を渡り歩いて今に至ります。
木村:実際に物事をやりだして、最初と見方・視点が変わってくると思いますが、昔と今では何か変わりましたか。
田村:初めはですね、めちゃくちゃカッコイイ家を作ろうとか、雑誌に載るような家を建てたいとか思っていまいた。でも、そうじゃないなというのは動けば動くほど分かってきてですね。結局、自分が何でそういう想いになったのかという事を考えると、イベントと先輩との出会い、つまり、人の活動を見て衝撃を受けたんですよね。同じ人間に出来て自分に出来ないという事は無いと思いましたね。
木村:その衝撃的な活動というのは先ほど話されたデザイニングの事ですか?
田村:そうですね。本当に忙しい本業の傍ら自分のデザインを形にして発表していた先輩の姿が信じられなかったですね。
木村:そのような経験を得て、田村さんは建築・デザインで社会に対して何を成そうとしているのですか?
田村:結局、自分が受けた衝撃を他の人にも経験をして欲しいのです。だから、そういう衝撃的なイベント(行動)を起こさないといけない。例えば、井手健一郎さんがやっているデザイニング展は僕にとって衝撃的でありました。僕の場合は、人と人が出会える場所を小倉に創りたかった。それが実際、具体化出来たのがcafe causaです。Cafe causaはリノベーションシンポジウム北九州にも取り上げて頂きました。クライアントがいない状況で空き物件を見つけて勝手にコミュニティー機能を持ったカフェというプランを練りこんで、そのプランを持って廻っていました。その時にcausaのオーナーと出会いました。しかもオーナーはすごく良いソフトを持っていて、ちょうどのタイミングで、建築と事業主のソフトの融合が見事に出来たのではないかと思います。だから、大切なのは建物のかっこよさだけではなく空間のその先の拡がりで、それは人と人の出会いの拡がりなんですよね。
木村:空間の中で人のつながりをいかに生み出すかということを大切にしているのですね。それはツイッターでおっしゃっていた『場のポテンシャルを見出し想定不可能な成長をする空間・建築設計を目指す。』ということにもつながるのですか?
田村:そうですね。自分がプランした建築で、人の出会いというものが拡がり、敏感な人はその場の価値に感動してくれる。空間の広がりというのは単に増築といった面積を広げるとかではなくて、そこで人と人が出会って、その人達でその場が生かされる。こんな場所が1つあるとその地域の人々も活性化されてくる。
木村:では 田村さんが考える今の複雑化した社会に建築家はどういう姿であるべきだと考えていますか?
田村:そうですね・・・本業である建築設計をしているときは建築家と呼ばれるのですが、causaをはじめとする仕事ではデザイナーと呼ばれる。事業のみを考えた倉庫や事務所の業務時は建築士、設計士と呼ばれる。たぶん、建築家のこうあるべきだという姿はなくなっていて、求められるのは過去の時代背景に捉われない呼び方をされる人が良いのかなと思いますね。○○屋さんというカテゴリーは過去のもので、この街を何とかしなくてはいけないと思った時には過去のカテゴリーの中では創りえないものがある。今、現にカテゴライズできない人達の活動が、今を創っている。僕も呼び方が分からない人になりたいですね。
木村:では、田村さんの将来の目標はそう言った方向に向かっていくのですか?
田村:そうですね。街に直結した建物、空間を創りたいですね。人との出会い、もっと先の人と人との化学反応が起こり得る場所を創りたいですね。
木村:今、メルカート三番街で家具のデザインをされていますが、それでは何をなさろうとしているのですか?
田村:空間形態はショールームですが、それぞれの場所に合う家具の提案をやりたいなと考えています。
木村:それは田村さんの広がる空間とどのようにつながるのですか?
田村:家具というのは空間に密接に関わっていて、空間を作っているのは建築であり、照明であり、絵であり、音楽であり、家具といった様々な要素で成り立っていると思っています。その様々な要素が良い方向に進んで、良い空間ができる。だから、僕はメルカート三番街では家具からそこまでのアプローチを発信したい。
木村:わかりました。後、今回の東北大震災について質問をさせて下さい。僕自身、被災地の方に出来る事の少なさに、悔しさを感じています。今回の震災で建築・デザインが出来る事とは何だと考えますか?
田村:そうですね。震災で求められるのは空間的な対応ですね。建築家の矢作昌生さんが進めている『小さな積み木の家』は良いですよね。矢作さんはそのような手法を生み出す力があり、既に引出しに持っていました。そしてその引出しを使い、今現在、具体的に行動されている。木村さんや学生さんは社会人になって、また同じことが起きた時に対応出来る力、引出しを作ってっておくことが大切だと思います。僕自身も震災が起こって、すぐ対応出来る力がなかった。でも、何もしないって訳ではなくて、地方から支えることを考えています。今、実務で建材不足が大変です。それを地方がうまく回してやる。そして、次の計画をどうするかを考える。街の空いた部分、つまり空いた賃貸住宅に被災者を受け入れる活動は既に北九州市も動いていますが、それに加えて現在北九州にある戸建て約41万戸の戸建てのうち約6万戸もの住戸が空いているので、余っている6万戸に被災者を呼び入れる。かつ北九州に震災が起こった場合、すぐに生かせる対応の準備しておくことが大切。また、都市計画、及び建築設計に従事する者がハザードマップを利用すること。色がついていない箇所、いわゆる安全な地域に新築を進める。ハザードマップを一般に公開することには現実的な反響を考えると難があるので、建築家・設計事務所等が地道に誘導してやる。なおかつ、リノベーションを行ったり、余っているスペースを活用して住居や商業用にし、徐々にハザードマップ上の白の部分に人を集めていく。それと合わせて、無秩序化しないように都市計画も同時に行う。全体的にはそういう流れが必要だと思います。
木村:建築家が担う役割ですね。
田村:そうですね。施主さんが土地を見つけ、家を建てたいと言ってきたときに唯、計画・設計するだけではなく、その土地の災害におけるメリット・デメリットを話し合った上で計画を進めることですね。
木村:わかりました。最後に学生に一言お願いします。
田村:思い悩むっていうことは何かを求めていること。自然とアンテナを張っているんですよね。その気持ちのままで自分なりに動いてみる。そうすれば、必ず何かが見つかります。その時具体的に行動して下さい。時間は有効に使えばいくらでもあるので、有効に使える時間を見つけてやりたい事を必ずやり遂げるようになって欲しいなと思います。
木村:有難うございました。
聞き手=木村圭孝
————————————————————————————————————————————————————————-
田村晟一朗氏:一級建築士。建築設計事務所に勤務。個人ではtamtamDESIGNとしても活動中。メルカート三番街にグラフィックデザイナー岡崎友則氏とのデザインユニット「余白」のショールームを6/1に出店。同メルカート三番街の町内会長。その他、建築家ユニットYSM(イズム)所属。 Works: cafe causa / dress by Lutz. 等